本日の通読箇所「ローマの信徒への手紙14:1~4」
食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。
(ローマの信徒への手紙14章3節)
「信仰の強い人」と「信仰の弱い人」という表現が出てくると、自分は「弱い」方だ、だからこの箇所では「受け入れられる」べき方だと思うかもしれません。果たしてそうなのでしょうか。
ここでパウロのいう信仰の弱い人とは、信念や確信に欠ける人ということではありません。そうではなく、自分の思いに縛られてしまってそこから自由になれない、神さまにすべてを委ねることのできない人という意味です。
つまり「我が強い人」=「信仰の弱い人」ということでしょうか。なかなか自分というものを捨てられずに、自分の殻に閉じこもってしまっている人、いないでしょうか。教会はそういう人も、受け入れていくのです。