本日の通読箇所「士師記10:6~16」
彼らが異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕えるようになったので、主はイスラエルの苦しみが耐えられなくなった。
(士師記10章16節)
「水戸黄門」や「遠山の金さん」のように、あるフォーマットにしたがって進んで行く時代劇は、ある種の安心感を覚えます。しかし士師記でのフォーマットのなぞらえは、「またか!」という思いしか生まれてきません。
イスラエルの人々は、またもや主を捨て、他の神々に仕えます。書いてあるだけで7つの神々です。ただ今回、いつもの流れと違うのは、士師が立てられる前に人々が罪を告白したということです。
これまでは、民はただ苦しみを叫んでいるだけでした。しかし今回は、「わたしたちはあなたに罪を犯しました」と告白します。そして異教の神々を、自分たちの中から一掃するのです。その思いが、神さまに伝わるのでしょうか。




