「彼らを守ってください」
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ヨハネによる福音書17章1~11節
復活日と聖霊降臨日、この二つの祝日には多くの共通点があります。そして中でも一番特徴的なことは、「待ちわびる」ということではないでしょうか。復活日の朝には、十字架につけられたイエス様のご復活を待ちわびました。聖霊降臨日には今お話ししたように、イエス様が約束された聖霊が下るのを待ちわびていました。同じ「待ちわびる」です。しかしそこには、大きな違いがあったことも、まぎれもない事実です。
復活の朝、弟子たちはイエス様が本当に復活されると信じていたでしょうか。最初にお墓に行ったマグダラのマリアさえも、復活のイエス様に出会いにお墓に行ったのではなく、遺体に香料を塗るために行きました。では弟子たちはどうだったのでしょうか。彼らは家の中で、戸という戸に鍵を掛け、震えていました。恐れが彼らの心を支配していたのです。「必ずイエス様は来てくださる」、などと考えることもできなかったのではないでしょうか。
では聖霊降臨日のときの状況はどうだったのでしょうか。詳しくは来週語られると思いますが、その日弟子たちは、エルサレムで一つになって集まっていたそうです。そこに炎のような舌と形容される聖霊が弟子たちの上にとどまったんですね。その物音を、エルサレムに集まっていた信心深いユダヤ人たちが聞き、大勢が集まって来たとあります。そのことからわかるのは、弟子たちは人々の目を避けて、隠れた場所で震えながら祈っていたのではない。すぐに人に気づかれるような場所で、集まって祈っていたということなのです。
この違いは、とても大きいと思います。復活日の朝、わたしたちは喜びの中で礼拝を迎えます。しかしそれは、2000年前にイエス様が復活されたということを知っているからにすぎません。最初の復活日は、恐れと不安の中で訪れました。しかし聖霊降臨日の朝、弟子たちは公衆の面前で祈るわけです。なぜ彼らの中から恐れが消えたのか。どうして弟子たちは人々の目から逃げることなく、祈り続けることができたのか。その答えが今日の福音書にあるように思うのです。
今日の福音書は、ヨハネ17章1~11節です。ヨハネ福音書によれば、イエス様は十字架につけられる前の日、最後の晩餐のときに弟子たちの足を洗われたということです。そしてその様子は、13章に書かれています。そして14章、15章、16章と、イエス様は長い、長いお話、お説教を弟子たちにします。その中には「あなたたちに聖霊を与える」というイエス様の約束もありました。そして17章でイエス様は、神さまに対して祈られたのです。その祈りは大祭司の祈りともよばれるものです。「わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださったみ名によって彼らを守ってください。彼らも一つとなるためです」。
この祈りの言葉は、イエス様が十字架につけられる前には、弟子たちは何一つとして理解できないものだったことでしょう。イエス様の言う、「世にはいません。みもとに参ります」という言葉。それがどういうことか、彼らにはわからなかった。だから復活の朝、彼らは震えていたのです。
しかし復活のイエス様が40日間自分たちと共におられ、そして天に昇られたときに、ようやくイエス様が言われたかったこと、そして神さまのみ心がわかった。イエス様は天に昇られてもなお、自分たちのために祈っておられる。神さまに対してとりなしておられる。そのことを知ったから、彼らの心から恐れは消え去ったのです。イエス様が自分たちのために祈ってくれている。わたしたちにとってこのことは、少し遠く感じてしまうかもしれません。でもこれだったらどうでしょう。わたしたちはいつも、誰かから祈られている。そう感じるときはないでしょうか。
昔ある牧師さんが、こんな話をしてくださいました。その牧師さんは神戸教区の方でしたが、彼がある教会で牧師をしているときに、阪神淡路大震災が起こったそうです。神戸教区で牧師をされていたその方は、それこそ毎日、必死になって働いていたそうです。
あるときその牧師さんは、他の教区の礼拝に呼ばれたそうです。多分、震災のときの話を聞きたいということだったのでしょう。そしてそのときの聖餐式の中で、代祷の時間に、「阪神淡路大震災のため」というお祈りがなされたそうです。そのときに彼は、涙があふれたと言われました。全国の教会で祈られていることは、十分想像できた。でも実際に、教会で声をあわせて祈るその声を聞いたときに、「自分は祈られている」ということに心が震え、涙が出たということ、そしてその後の活動の中で、いつも誰かのお祈りに支えられていたということを語ってくれました。
わたしたちは、どうでしょうか。誰かのために祈っていますか。そして誰かが自分のために祈ってくれているということに、気づいていますでしょうか。祈りは目に見えないものです。しかしその言葉は、確かに神さまに届けられています。そして何よりも、イエス様が神さまにとりなしの祈りを祈り続けて下さっている。そのことを心に留めましょう。
先週教会では、教会だより第2号をお配りしました。その中には翌月の誕生日、逝去記念日、そして洗礼記念日を載せています。その中に「この人どうしているのだろう」とか、「この方にはお世話になったなあ」という名前を見ることがあるでしょう。
そのときに、神さまにお願いしましょう。「この方をお守りください」、「この方の魂をどうぞあなたのみもとに憩わせてください」。それが祈るということです。そして同じように誰かが、あなたのことを祈っているのです。
その交わりが、教会の集まりなのです。聖霊降臨を前に、弟子たちは一つになって祈っていました。その祈りの中心には、イエス様の祈りがありました。その祈りを心に覚えながら、お互いのためにも祈り続ける。そこに教会が生まれていったのです。
今日の福音書のイエス様のお祈りの言葉に、「彼らも一つとなる」とあります。これがイエス様の願いなのです。教会の交わりの中でお互いに祈りあう、そのことを通してわたしたちは一つとされていくのです。
来週、わたしたちは聖霊降臨日を迎えます。赤い色、つけてきましょうね。風を感じましょう。今この時期、外で賛美してもいいかもしれません。風の中に流れる音を心に刻み、神さまの豊かな愛を覚えましょう。そして息を意識しましょう。わたしたち一人ひとりには、神さまの息が与えられています。
神さまに生かされていること、そして互いに祈りあいながら一つとされていること、そのことを感じる聖霊降臨日になれば、とてもうれしいことだと思います。そしてその交わりの中に、一人でも多くの方が来られるように、お祈りを続けましょう。




