2026年8月23日<聖霊降臨後第13主日>メッセージ

「あなたにとって、イエス様とは?」

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 マタイによる福音書16章13~20節

 先週、教会の外で二つのお葬式がありました。一つは、夫の母のものです。クリスチャンではなく、福岡の実家近くの式場で仏式により執り行われました。お二人の僧侶による曹洞宗のお葬式はとても丁寧で、不慣れな私たちにとっても、木魚と共に唱えられるお経、お線香の香り、そして鳴り物を用いた祈りが深く心に染み渡り、大切な人を見送る悲しみが静かに包まれていくような思いがいたしました。生まれながらのクリスチャンである私にとって、教会の葬送式が当たり前でしたが、年齢を重ねるにつれ、日本の伝統的な宗教儀礼が大切にしてきた心にも寄り添えるようになってきた気がいたします。どちらが優れているかではなく、その人が生涯大切にしてきたものを尊重し、心を寄せることの大切さを改めて深く教えられました。

 そしてもう一つは、先週木曜日に行われた、私たちの愛するTさんのお葬式でした。私たちは代祷の中で長く祈りを合わせ、ご本人も半年ほど前に入院される直前まで礼拝に集われていました。ご自宅近くの会場で行われた家族葬には、ご親族だけでなく教会からも多くの方々が集まり、式場は祈りで満たされました。

 葬送式の式文には、Tさんが息を引き取られる2日前、夫と二人で聖餐式と塗油のためにご自宅へ伺った際にお話しくださった言葉を載せさせていただきました。「教会の皆さんにお伝えしたいメッセージはありますか?」とお尋ねしたところ、Tさんは最後の力を振り絞り、かすれながらも確信に満ちた声でこうおっしゃったのです。「神さまはいつも私たちと共におられます。私たちは暗闇にいる時や苦しい時に神さまを思い出しますが、そうではなく、神さまは昼間も、元気な時も、いつも共におられるのです。」酸素マスクを着け、食事も点滴も受けつけず、意識を保つのもやっとという苦しみの中で、その言葉を語られた彼の信仰の深さに、私は圧倒されました。

 さらにTさんは、式で歌うすべての聖歌をご自身で選ばれ、「ハレルヤという言葉をたくさん使ってほしいから、最初の聖歌は『神の国と神の義を』にして、みんなで『ハレルヤ』と賛美してほしい」と願われました。ハレルヤとは「主を賛美せよ」という意味です。キリスト教の葬送式はまさに「ハレルヤ」の式です。出棺の際、司祭は「ハレルヤ、主のみ名によって行きましょう」と唱え、会衆は「ハレルヤ、主に感謝します。アーメン」と応えます。死は終わりではなく、神の御許へ帰る喜びと感謝の日であるため、司祭は白いストールを身に着けます。しかし現実には、教会に馴染みのないご参列の方々がどう受け止められるだろうかと、司祭として気配りや戸惑いを覚える場面もあります。

 けれども今回、Tさんご自身が「式をハレルヤで満たしてほしい」と望まれました。これは、集われた未信者のご家族やご友人に対する、何より力強い「信仰告白」であり「証し」でした。「神さまはどんな時も共におられ、自分はその素晴らしい神の御許へ帰るのだ」ということを、最期まで愛する人々に伝え、共に賛美しようと招かれたのです。これほどの弟子の務めがほかにあるでしょうか。

 今朝の福音書で、イエス様は弟子たちに問われます。「人々は、人の子のことを何者だと言っているか。」弟子たちが当時の噂を答えると、イエス様はさらに一歩踏み込んで問いかけられます。「それでは、あなたがたは、わたしを何者だと言うのか。」場が静まり返り、弟子たちが息を呑む中、口火を切ったのはペトロでした。熟考を重ねてから話すというよりは、心に満ちた確信をまっすぐに口にするペトロは叫びます。「あなたはメシア、生ける神の子です。」メシア(ヘブライ語で油注がれた者、ギリシア語のキリスト)は、人々が何百年も待ち望んだ救い主を意味します。誰もが口にするのを恐れていたその告白を、ペトロはためらわずに宣言したのです。イエス様は「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ」と応え、その告白は人間の知恵によるものではなく、天の父が示された恵みであると告げられました。

 そしてイエス様は「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と仰せになります。「ペトロ(ペトロス)」という名が持つ「岩(ペトラ)」という意味の通り、イエス様は彼を教会の土台として用いられました。ペトロは決して完全無欠な人ではありませんでした。この後イエス様に叱責され、受難の際には「あの人を知らない」と三度も否認してしまいます。それでも、イエス様はその不完全なペトロの「告白」の上に教会を建てられたのです。教会とは、「イエス様こそキリスト、生ける神の子です」と告白する人々の群れです。Tさんもまた、その生涯の最後に、ご自身の言葉と葬儀を通して信仰を告白し、「ハレルヤ」と賛美しながら御許へ帰られました。

 「それでは、あなたがたは、わたしを何者だと言うのか。」このイエス様の問いは、今を生きる私たちひとり一人に向けられています。順境の時も逆境の時も、自分の言葉と歩みをもってイエス様を告白していくこと。そのひとり一人の告白を通して、主は今もご自身の教会を建て続けておられます。この恵みに感謝し、主の招きに応えてまいりましょう。