2022年度年間聖句

 「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」(エフェソの信徒への手紙5章8節)


 2022年の年間聖句を、「光の子として歩みなさい」といたしました。この言葉は幼稚園などでもよく聞かれます。「光の子」と聞いて、みなさんはどのようなイメージを持たれるでしょうか。
 「光のように明るく」、「光のように真っ直ぐに」、「光のように周りを照らす」。他にもいろいろと思い浮かぶかもしれません。簡単に言うと、明るく正直に生きていきましょう、そういうことになるのでしょうか。
 わたしは明るい人間かと言われると、決してそうではありません。みなさんの前ではスイッチをオンにしていることが多いので明るく見えるかもしれませんが、夕方東向商店街で歩いているわたしは、ボーっとしているか、怖い顔をしているか、大抵そのどちらかです。頭の中でクヨクヨ考え事をしていたり、ネガティブな発想を振り払おうとしていたり。光のように明るいとは、とても言えません。
 また、わたしは正直でしょうか。ある意味、まっすぐなところはあります。しかし姑息で、ひねくれているところも多々あります。これまた胸を張って、自分のことを光だとは言えません。
 「光の子として歩みなさい」、この言葉はわたしには、大変重たいものです。ただそれは、自分の力だけで光になろうとするからかもしれません。
 わたしたちは生きている中で、希望を見失い、明日に向かって生きることがとても辛くなることがあります。今もそうだという方もおられるでしょう。そのときにわたしたちの周りにあるのは暗闇です。一歩も踏み出せない。手探りで周りを探ることすら怖い。そのような中で、わたしたちが蛍のように自分の力で光り輝くことなどできるのでしょうか。
 今年の聖句である「光の子として歩みなさい」という言葉の前に、実はこのような言葉が書かれています。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています」。
 主とはイエス様のことです。暗闇の中にいたわたしたちが、イエス様と出会い、光となった。そう読み取れます。ところが2018年に出された『聖書協会共同訳』では、「あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています」という訳に変えられています。
 つまりイエス様がいてくださるから、イエス様のおかげで光とされているということです。逆に言うとイエス様につながっていなければ、わたしたちは自分の力で光とはなれない、そういうことなのでしょう。
 新型コロナウイルス感染症の影響で、教会では交わりや食事をする機会が大きく減りました。またコロナだけに限らず、様々な事情で教会から足が遠のいてしまった方もおられます。だからこそ、「光の子として歩みなさい」という聖書の言葉を心に留めていきたいと思うのです。わたしたちは決して一人ではありません。イエス様が共にいてくださって、わたしたちに光を浴びせてくださいます。たくさんの光を与えられ、わたしたちは歩むことができるのです。
 イエス様と共に、光の子として歩んでまいりましょう。そしてその光を、周りにいるたくさんの人たちと分かち合いましょう。
 わたしたち奈良基督教会の働きが、神さまのみ心に沿った豊かなものとなりますように、お祈りしております。