日ごとの聖書(4月 1日)

本日の通読箇所「マタイによる福音書25:31~46」

そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」

(マタイによる福音書25章40節)

王は右側の人たちに、「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」と言います。

ところが右側の人たちには、その自覚がありませんでした。逆に左側にいる人たちは、「わたしたちはそういうことをきちんとやっていた」と主張します。

この違いは何でしょうか。大事なのはどこに心を向けているかではないでしょうか。王(権力者、自分にとって都合の良い相手)に目を向けるのではなく、今、困っている人や悲しんでいる人と共に歩むことができればと思います。