本日の通読箇所「マルコによる福音書11:12~19」
そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。
(マルコによる福音書11章13節)
聖公会の聖餐式聖書日課では、イエス様がいちじくの木を呪った話は読まれません。季節になっても実をつけないならまだしも、春にはまだ無理です。いちじくの季節は夏ですから。
いちじくの木は聖書の中で、イスラエルの象徴として登場します。春のいちじくは葉をたくさん茂らせ、一見華やかに見えます。しかし実がないのです。栄養である神さまの恵みを自分の中に閉じ込めてしまったのです。
エルサレム神殿も、形は荘厳でしたが中身が伴っていませんでした。神さまの恵みを自分たちだけでむさぼるその姿は、まさに強盗の巣でした。わたしたちの教会は、「祈りの場所」となっているでしょうか。すべての人に、恵みを開放しているでしょうか。