日ごとの聖書(3月5日)

本日の通読箇所「創世記17:15~22」

アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」

(創世記17章17節)

アブラムがアブラハムになったのと同じように、神さまはサライの名前も「サラ」とするように命じられます。「サラ」には、「高貴な女性」という意味がありますが、神さまはどのような意図で彼女の名前をそのように変えたのでしょうか。

アブラハムは、サラに男の子が与えられるという神さまの言葉を聞いて、笑ってしまいます。子どもが生まれるときには少なくとも、アブラハムは100歳、サラは90歳になってしまうからです。

しかし神さまは、その約束が必ず守られること、また生まれてくる子どもにはイサク(彼は笑う)と名付けるように告げます。そしてイシュマエルには祝福が与えられ、イサクとは契約を立てるとも言われます。祝福と契約、この違いは何なのでしょうか。