本日の通読箇所「創世記31:43~50」
そこはまた、ミツパ(見張り所)とも呼ばれた。「我々が互いに離れているときも、主がお前とわたしの間を見張ってくださるように。」
(創世記31章49節)
「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の目の前にあるものはみなわたしのものだ」というラバンの言葉を、ヤコブはどのような思いで聞いていたのでしょうか。
確かに当時、すべての財産は家長のものでした。家長が亡くならない限り、財産が子どもに渡ることはありません。(ですからルカ福音書の「放蕩息子」が父親に財産を分けてくれと言ったことは、当時ではありえないことでした。)
ラバンはヤコブとの間で契約を立て、ヤコブを去らせることを決意します。これ以上自分の主張を通そうとしても無駄だと思ったのでしょうか。それともヤコブと共にいる神さまに恐れをなしたのでしょうか。