講演会『沖縄戦を語り継ぐ』開催   10月13日(水)

超大型台風19号が近畿地方接近の中、 講師の石原絹子司祭は 前々日に奈良に着かれ、無事に開催。10月13日(日)13時30分、聖歌423番「おきなわのいそに」を歌い、井田司祭の開会の祈りで開始。 県外からの参加者を含め約60名。 当教会婦人会の主催で行われた。
講師紹介:日本聖公会沖縄教区退職司祭。1945年の沖縄戦で父母、兄妹を失う(7歳)。2005年、沖縄戦の「語り部」となる。2015年『沖縄戦を語り継ぐ』━地獄から魂の叫び━出版 。

1945(S20)年4月1日、米兵の沖縄上陸以後90日あまりの激闘により20万余名の犠牲者を出した 沖縄戦は日本唯一の地上戦であり、太平洋戦争で最大規模の戦闘であった。米軍上陸から1か月あまりで沖縄北部が制圧され、日本軍や防衛隊、義勇隊、学徒隊、看護隊や逃げ惑う人々が 南部の摩文仁方面へと 押し寄せた。 石原家は6人家族。 父親は防衛隊としてすでに招集されていた。母親と小学3年生の兄、7歳の石原先生、3歳と1歳の妹の5人は防空壕に隠れていた。そこへやってきた日本兵が母に銃剣を突き付けて「子供を殺すか、ここから出ていくか。」とせまった。母は「生きるときも死ぬときも一緒だよ。」と壕を出た。やけどをしていた母を兄が、自分は 1歳の妹をおぶって 3歳の妹の手を引いた。 石原先生の家族5人も南部に向かって非難するその渦中にいた。周囲を囲まれ容赦なく落ちてくる激しい雨のような爆撃の中で、母と兄とはぐれ、必死で探しているうちに背中で妹が息絶え、手をつないでいた妹も弱ってきて「水が欲しい。」と言いながら死んでいった。残されたのは自分ひとり。もう死んで家族のもとに行きたいと願った7歳の少女は腐った死体の中をひとり歩き周った。そして気が付くと、死体の山から米の衛生兵に 助け出された。その時、胸に光る十字架のペンダントが見えた。後々、キリスト教に出会うきっかけとなった。収容所にいると聞き、祖母が迎えにきてくれた。周りの人々から「生きるんだよ!」と繰り返し言われ続ける中で、少しずつ生きることへと呼び戻されていった。
 成長する中で繰り返し思ったことは、家族を奪った責任は誰にあるのか?いろいろと調べた結果、天皇にある。もっと早い時点で戦争を終わらせていれば、その後の広島・長崎の原爆投下が行われず、あれほどの犠牲者が出なかった。唯一戦争を止めることができたのは天皇だと思う。そして、戦争を防ぐ憲法9条は守り抜くこと。自分は体験者として戦争の現実の姿を伝えることを通して、この世界に平和を実現するものになりたい。
思い出すことさえ辛い体験を 90分間休むことなく、私たちに お話してくださった。この体験を聞いたものとして 私たちは 責任を受け止めていきたい。「記憶し続けることは平和への第一歩」と信じて。

*もっと詳しく知りたい方は『沖縄戦を語り継ぐ』という石原司祭の著書があります。