本日の通読箇所「ガラテヤの信徒への手紙3:26~29」
そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
(ガラテヤの信徒への手紙3章28節)
わたしたちは洗礼を受けることを、「キリストを着る」と表現することがあります。その言い方は、この箇所からきています。わたしたちは洗礼を受けたからといって、人格や性格が変わるわけではありません。
また洗礼を受けた翌日から罪をまったく犯さなくなるかというと、そうでもありません。わたしたちは罪に汚れた身体のままで受け入れられ、そのままの姿で歩むことを許されているのです。
つまりわたしたちがどんな者であろうとも、神さまには関係ないのです。民族や身分、地位や性別などを超えて、神さまの救いはもたらされます。だからわたしたちは、すべての違いを超えて神さまの元に一つになれるのです。