2025年1月18日<顕現後第2主日>説教

「神の小羊」

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 ヨハネによる福音書1章29~41節

 顕現後第2主日となりました。顕現というのは、「はっきりと姿を現す」ということを意味します。今日の特祷には、このような言葉がありました。「あなたは永遠のみことばであるみ子の受肉のうちに、まことの道を現されました」。み子の受肉とは、イエス様のご降誕のことです。このイエス様の誕生を通して、まことの道が現されていく、つまり神さまの恵みがわたしたちに示されていくということです。

 今日の箇所は、「その翌日」という言葉から始まっています。また35節にも、「その翌日」という言葉があります。さらに今日は読まれない43節にも同じように「その翌日」とあります。つまりこれは連続した四日間のうちの、なか二日間の出来事だということです。まず今日の箇所の前では、聖書には洗礼者ヨハネが人々に洗礼を授ける場面が描かれていました。その中でヨハネは、エルサレムのユダヤ人たちが遣わした祭司やレビ人たちにこう聞かれるのです。「あなたは、どなたですか」と。

 それに対して問答が続くのですが、最終的に祭司たちはこう尋ねます。「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」。それに対してヨハネは、「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」。

 そして、今日の箇所です。洗礼者ヨハネが「わたしの後から来る方」について言及した翌日、イエス様が自分の方に歩いて来るのを見て言います。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。そしてこの方、つまりイエス様こそ前の日に言っていた「わたしの後から来られる方」であり、「その方はわたしにまさる」と言うのです。さらにヨハネは続けます。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。だから、この方こそ神の子である」と証しをするのです。

 そして後半です。さらに翌日、つまり三日目の出来事です。洗礼者ヨハネは二人の弟子と歩いていました。そして歩いているイエス様を見つめて、ヨハネは「見よ、神の小羊だ」と言います。

 さて、これが今日の箇所の出来事ですが、ここで洗礼者ヨハネが語った言葉の中に、聞き覚えのあるものはなかったでしょうか。「神の小羊」、この言葉をヨハネは二度、使いました。「世の罪を取り除く神の小羊」とも言っています。

 聖公会の聖餐式では「世の罪を除く神の小羊よ 憐れみをお与えください」と、陪餐を受ける直前に唱えます。この部分は、「神の小羊」のラテン語、「アニュスデイ」と呼ばれます。

 そもそも神の小羊とは何でしょうか。まず小羊というのは、いけにえの象徴です。旧約聖書には数多くの「献げ物」の決まりがあります。その献げ物を、いつ、どのようなときにするのか、細かく決められています。

 たとえば被献日という日があります。聖公会では2月2日をその日とし。礼拝をおこなうことも多くあります。その日にはイエス様が神さまにささげられた、そのことを覚えて祈ります。ただささげるといっても、赤ちゃんのイエス様をそのまま祭壇に残して行ったら、そこで終わってしまいます。だからその代わりの物を使ってささげ物をしなさいと定めているのです。初めての男の子の誕生の場合は、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるようにと、律法では定められているのです。

 そして旧約聖書の中で、いけにえを伴う最も大きな祭りというのが、過越祭です。この祭りはイスラエルの人たちがエジプトを脱出する際、神さまの怒りがイスラエルの人たちの家を過ぎ越したことを記念しておこなうものです。

 酵母を入れないパンを食べ、そして神さまに子羊をささげます。今でもユダヤ教ではこの祭りを大切にしていますが、その時期になると小高い場所にあるエルサレム神殿から、たくさんの動物の血が流れていったそうです。

 自分たちの犯した罪を赦してもらうために、自分たちの代わりに動物にいけにえになってもらい、血を流してもらう。そのようなことが繰り返されていきます。その中でも特に「小羊」は贖いのいけにえの象徴となっていくのです。

 さて、洗礼者ヨハネがイエス様を見たときに、「彼こそ神の小羊だ」と繰り返しました。ヨハネは彼がイエス様に洗礼を授けたとき、神の霊が鳩のようにイエス様に降ったのを見ていました。その霊によって、イエス様が人々の罪を贖うことになる、いけにえの小羊として血を流すということを知ることになったのです。

 わたしたち奈良基督教会では、後ろの洗礼盤を用いて洗礼式をおこないます。この洗礼盤の上には、白い鳩があります。鳩は平和の象徴でもありますが、このときヨハネが語った、イエス様に降った神の霊を現しているのでしょう。そして側面を見てみると、小さな羊が彫られています。よく見ると、その羊は十字架を背負っています。これはイエス様、神の小羊であるイエス様なのです。わたしたちはイエス様の十字架の血によって、神さまに連なるものとされる、神さまと共に歩むものとされるということが、この洗礼盤には刻まれているのです。

 この「神の小羊」がわたしたちの間に来られたということ、これこそが顕現です。神さまの願いは、いけにえをささげ、律法を守り、清い中で歩む人たちだけが救いに与ることではありませんでした。すべての人たちが神さまと共に歩む、そしてすべての人たちが暗闇の中から導き出される、それこそが神さまの思いだったのです。だから神さまは、すべての人のために、たった一度きりのいけにえを準備されたのです。過越しの小羊の血は、毎年流され続けていました。人間の身勝手な思いも、その中にはあったのかもしれません。

 しかしイエス様の降誕によって、そのような犠牲は必要なくなったのです。わたしたちをキリストの体によって生かし、歩むものとしてくださる。その神さまの恵みが、わたしたちに示された。これが今日、顕現後第2主日の大きな喜びです。

 実はわたしたちの教会の洗礼盤には、もう一つ大きな意味があります。後で見ていただければわかりますが、八角形をしています。七という数字は、神さまが天地創造を完成された日数です。7はそのため完全数とも呼ばれます。じゃあ8は何なのか。完全数の次の数、新たな始まりを意味しているんですね。わたしたちは神の小羊であるイエス様の血によって、新たに生きるものとされた。そのことを伝えているのです。

 神さまの恵みを感じ、その愛の中で歩んでいきましょう。神さまの思い、あなたを大切にしたい、あなたを守りたい、その思いを心に留め、この顕現のときを受け止めていければと思います。

 神さまの豊かな愛が大いに注がれますように、お祈りを続けてまいりましょう。