2020年2月16日 〈顕現後第6主日〉説教

成長させてくださる神
 コリント一 3:6-7

   司祭 ヨハネ 井田 泉
    奈良基督教会にて

「6 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。7 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」コリント一 3:6-7

 今日わたしたちが心にとめたいのはこの言葉です。

「成長させてくださったのは神」
「成長させてくださる神」

 神さまは何を成長させてくださるのでしょうか。わたしたちの信仰です。また教会の信仰です。
 神さまは慈しみ深い。そのゆえに神はわたしたちを守り育み、導いてくださいます。今日まで神さまはわたしたちを成長させてくださったし、今も成長させていてくださるし、これからもずっとわたしたちを成長させてくださる。このことを素朴に信じ、素朴に喜び感謝したいのです。

 ところがしばしばわたしたちはそれを忘れてしまいます。二つの危険があります。
 一つは、無意識のうちに自分などどうせたいしたことはない、と思ってしまっていることです。自分に対する否定的な思い、間違った謙遜。これが成長の邪魔をします。
 もう一つは、これもしばしば無意識ですが、自分はすでに十分だ、と思ってしまうことです。すでに自分はたくさん経験をした。働いてきた。聖書も礼拝もよくわかっている。この間違った高慢が成長の邪魔をします。
 この二つはわたしたちが陥りやすい信仰の病です。けれども信仰の病をいやしてくださるのも神さまです。

 自分についての否定的な思いも、反対に高慢からも解放されて、謙遜に、しかし大胆に神さまを見上げましょう。
 今日まで神さまはわたしを成長させてくださったし、今も成長させていてくださるし、これからもずっとわたしを成長させてくださる。わたしの信仰を、わたしの愛を、わたしの希望を成長させてくださる。神さまは、わたしの信仰を慈しんでおられます。
 またわたしたちを、教会全体を、信仰において、愛において、希望において成長させてくださる。神がそうしてくださるのです。
 神さまにとって何がうれしいか。わたしたちの信仰が成長していくことです。牧師にとって何がうれしいか。人の信仰の成長を目(ま)のあたりにすることです。

 先週の礼拝ではひとり方の洗礼を行いました。今日はもうひとりの方の洗礼志願式を行います。これは、神さまが人を成長させていてくださることの目に見える事実です。けれども一人の人の信仰が育まれることは、神がわたしたちの教会全体の信仰を育んでいてくださることのしるしです。

 「成長させてくださったのは神」
 「成長させてくださる神」

 このことを大切に心にとめて、これから洗礼志願式を行います。

 祈ります。
 神さま、わたしたちの信仰を成長させてください。間違った謙遜から、また間違った高慢から、わたしたちを解放してください。自分と現実に失望するのではなく、成長させてくださる。あなたに望みを抱いて喜ぶことができますように。主のみ名によってお願いいたします。アーメン