本日の通読箇所「マルコによる福音書11:27~33」
言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」
(マルコによる福音書11章28節)
「権威」という日本語には、あまり良いイメージがないかもしれません。権威とは自発的に同意・服従を促すような能力や関係のことで、威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる「権力」とは区別されます。
2000年前のエルサレム神殿では、律法学者や祭司長、長老たちが「権力」を持っていました。「神の審き」をちらつかせ、「律法」によって人々を縛り付けていました。そこにイエス様がやって来ました。彼らは「何の権利があって」と憤ったのです。
わたしたちはイエス様を受け入れるように、促されています。しかし「何の権利があって、『わたし』の人生に入って来たのか。出て行ってくれ」と拒んではいないでしょうか。