日ごとの聖書(12月15日)

本日の通読箇所「ガラテヤの信徒への手紙3:1~6」

それは、「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」と言われているとおりです。

(ガラテヤの信徒への手紙3章6節)

2000年前の人々と違い、わたしたちは「律法」と言われてもなかなかピンときません。割礼や十戒など、身近に感じる人はほとんどいないでしょう。だからパウロの言う「信仰による義」を受け入れることはたやすいのかもしれません。

しかし何かをしなければ信仰に入ることができない、信じた後もこういうことをしなければならないというような考え方はどこかにあります。それは「何もしない」と心配になってしまうからです。

ガラテヤの人たちも、福音をただ信じて霊を受けました。しかし割礼を受けることによって、肉による仕上げをしようとしたのです。パウロはそのようなものが必要ない証拠として、アブラハムを例にあげて説明していきます。