日ごとの聖書(12月24日)

本日の通読箇所「ガラテヤの信徒への手紙4:28~31」

要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。

(ガラテヤの信徒への手紙4章31節)

一方サラには、神さまからの約束によってイサクが与えられました。奴隷の子イシュマエルと自由の子イサク。このような構図で書かれることに違和感はありますが、ユダヤ人にとってこの二人とその子孫の確執は大きなものでした。

聖書にはイシュマエルがイサクを「からかった」事件が書かれていますが、ユダヤ教にはイシュマエルがイサクを、弓矢遊びを装って殺そうとした伝承が残されています。パウロはその伝承も頭に入れながら、このようなたとえを語ったのでしょう。

パウロがここで言いたかったのは、わたしたちは律法に奴隷のように支配されているのではなく、自由なのだということです。たとえの用い方には疑問が残りますが、「キリスト者の自由」という大命題が明日から語られていきます。