日ごとの聖書(6月8日)

本日の通読箇所「創世記39:21~23」

監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。

(創世記39章23節)

ポティファルの妻の企みによって、ヨセフは監獄(牢獄)に入れられます。まったくの冤罪ですが、侍従長の妻の訴えです。裁判などが開かれることもなく、ヨセフは囚人と同じ扱いを受けます。

しかし神さまはヨセフと共におられました。そのためヨセフがなすことは看守長の目に適い、ヨセフは監獄の中を取り仕切るようになります。自由に他の囚人とも会話が出来る立場になったのでしょう。

その結果、40章以降(明日以降)の物語が可能になっていきます。つまりヨセフは神さまの大きな計画の中で、監獄に入れられたと考えてもよいでしょう。神さまはこのように、わたしたちにはすぐに理解できない導きを与えられることがあるのです。