2021年8月15日<聖霊降臨後第12主日(特定15)>説教

「内にいる」

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ヨハネによる福音書6章53~59節

 先々週からわたしたちの教会では、礼拝を「み言葉の礼拝」に変更し、歌は歌わずに伴奏のみという形に変更しています。近隣の大阪には緊急事態宣言が発令されており、この奈良においても現在感染者数は増加しております。たくさんの不安がある中で今日、こうしてわたしたちは集められています。礼拝堂という場に物理的に集められた方もいれば、インターネットを通じて交わっている方もおられます。さらに様々な方が、いろんな形でつながっていることも心に留めたいと思います。

 今日の福音書の中に、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」というイエス様の言葉があります。この「内にいる」ということを、今日は心に留めていきたいと思います。

 先日わたしたち家族は、北九州でNPO法人「抱樸」という団体をされている奥田知志さんという方にお会いしました。彼は日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会の牧師をされている方です。彼が抱樸という団体で何をおこなっているかというと、ざっくりいうとホームレスの方々に対する自立支援です。アパートを借り上げてシェルターを作ったり、最近では住所を持たない人にもコロナワクチンが打てるように動いたり。

 またその息子である奥田愛基さんは、SEALDsという団体で安保法制に反対する活動をしておられました。若者が中心となった活動でしたが、様々なメディアに取り上げられていたのをご記憶の方もおられると思います。

 お会いしているときに、うちの娘が奥田知志さんに「命」について尋ねました。必要のない命などないということを、周りの人にどう伝えたらよいのだろうか、そのようなことを聞きました。奥田さんは娘に対して、こう答えられました。それは三つの視点から考えることができるのではないかと。

 一つ目は、そもそも必要な命であるのか、不必要な命であるのか、そんなことは人間が決めることではないということ。必要かどうかは神さまが決めることであって、あなたやわたしが決めることではないでしょうということです。

 二つ目は、自分がもし「不必要」という側に入ってしまったら、悲しいよね、ということです。いまは自分が「必要」と思っているからこんなこと言えるけれども、いつ自分が「不必要」になるかはわからない。そんなの嫌でしょ、と言われました。

 そして三つ目、これはわたしたち一人ひとりが最も大切にしたいところです。それは「信仰の言葉として、信じているから」ということです。わたしたちすべての人間はみな必要なのだ。なぜならそれは、神さまがそう言われたから。そういうことなのです。

 神さまはその独り子であるイエス様をこの世に遣わされました。それはみ子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためです。イエス様の肉を食べ、イエス様の血を飲むということは、イエス様を心に迎え入れることです。神さまが与えられた恵みを受け取ることに他なりません。

 神さまの思いは、すべての人たちにその恵みを与えること。すべての人たちに命を与えること。であるならば、この世界に不必要な人などいるはずがないのです。教会に毎週来ていようが、来れなかろうが、洗礼を受けていようが、受けていまいが、献金をたくさんしようが、そうでなかろうが、神さまの目から見たらどうでもよいことなのです。

 神さまは、自分の元に来る人だけを選ばれるのではないのです。身を清くし、きちんと作法にのっとってお参りした人にだけ、恵みを与えられるのではない。礼拝堂に来て十字架をながめ、ひざまずいてパンとぶどう酒をいただいた人だけを祝福するのではないのです。

 神さまの独り子が、降ってこられたのです。低いところに来て下さったのです。そしてご自分を食せと言って下さる。わたしたちは小さく、弱く、まったく恵みを受けるにふさわしくない一人ひとりです。様々な事情で礼拝に来ることができない。洗礼も受けることができない。いろんなことがあります。

 でもそれらすべてを包み込み、導いてくださる。「あなたはわたしの内におり、わたしもまたいつもあなたの内にいる」と優しく宣言してくださるのです。

 新型コロナウイルスの感染拡大が、止まりません。いつ緊急事態宣言が全国に広がってもおかしくない状況です。もし奈良県もしくは全国に緊急事態宣言が発出されたら、その時点で礼拝は休止することになっています。

 でも安心してください。大丈夫です。イエス様はみなさんと共に、みなさんの内におられます。そして命を与えてくださいます。生きる希望をくださいます。そのことを信じて、歩んでいきましょう。

 そしてどうか、みなさんの周りに心を痛め、生きることに疲れた人、前を向くことができなくなってしまった人がおられたら、どうぞ声を掛けてください。その人のために祈ってください。神さまがその人を大切に思っておられるように、あなたもその人を大事にしてください。

 神さまがすべての人たち、そしてわたしたちに豊かな恵みを与えてくださいますように、お祈りをいたします。