2023年12月3日<降臨節第1主日>説教

「夜明けを待つ」

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 マルコによる福音書13章33~37節

 先週、多くの方と一緒に、クリスマスイルミネーションの飾りつけをしました。すでにお気づきの方も多いかとは思いますが、わたしはクリスマスの飾りつけをするのが大好きです。毎年何かしら飾りを買って、後で妻に怒られるというのが、古本家の冬の風物詩となっています。

 ただ、嬉しいんですね。たまに夜、門の近くに立っていると、それまでうつむいて歩いていた人がふと教会の飾りに気づき、隣の人の肩を叩き、「きれいね~」って声をあげる様子を見ることが。町行く人たちにもうすぐクリスマスが到来することを伝える。それがクリスマスイルミネーションの大きな目的なのだろうと思います。目の前にあるのは、人工的な光かもしれない。でも間もなく、本当の光が訪れるのだということです。

 わたしがこれまで勤務してきた教会には、すべて幼稚園がありました。ですからそこに通う子どもたちや保護者を喜ばせてあげたいというのも確かにあります。でも一番大切なのは、わたしたちは本当の光を知っているのかということなのです。

 この時期、教会の暦は降臨節に入り、礼拝堂の祭色も紫にかえられます。お花も飾られることはありません。外のキラキラした状況と、礼拝堂の中の厳かな雰囲気。何だか違和感を覚えます。そして朗読される福音書は、「目を覚ましていなさい」というものです。何か暗い中にあっても、緊張感を持って震えながら何かがやってくるのを待つ。文面からは、そのようなイメージが感じられるのも事実です。

 でもわたしは、そもそもわたしたちは何を待つのか、それが一番大事なのだろうと思います。恐ろしい裁きの時であれば、あたりを暗くして隠れるようにしながら、眠気と戦いながら必死で起きている、それでいいと思います。

 しかしわたしたちが待ち望んでいるのは、喜びの光です。イエス様がお生まれになる。わたしたちの間に来てくださるという素晴らしい知らせです。ワクワク、ドキドキしながら待ちわびる、それがわたしたちにとっての降臨節なのです。

 昔、こんなことがありました。深夜に一本の電話が入り、わたしは車で病院に向かいました。その病院には信徒の方とそのご家族がおられ、そしてその信徒の方は天に召されたばかりでした。悲しみを共有しながら、お祈りをし、そして今後のことをお話ししていく。とても辛く、寂しい時間です。そして打ち合わせの段取りなどを決め、わたしは車で教会へと戻っていきます。そのときに、真っ暗だった夜空がスーッと明るくなり、朝日が少しだけ顔をのぞかせてきました。その天に召された方は、この朝日には出会うことはありませんでした。でもきっと、本当の光に導かれ、天の御国へと向かわれたのだろうと思うと、心から「ハレルヤ!」と叫びたくなりました。

 わたしたちはこの地にいる間、様々な暗闇に落とされます。人間関係、病気、昨日までなんともなかったのに、突然痛みを抱えることもあります。悲しみの涙が止まらないこともあります。その中でわたしたちは、懸命に光を求めます。イエス様を訪ね求めます。それが降臨節なのです。

 イエス様という光は、かすかなものです。なかなか目には留まりません。だから紫の布で辺りを暗くするのです。だから花を飾るのをやめ、光に集中させるのです。まもなく光が訪れる。そのことをわたしたちは待ち望むのです。

 そしてもう一つ、今日の福音書はわたしたちに大切なことを語っています。それは「目を覚ましていなさい」というのは、わたしたちだけに語られた言葉ではないということです。今日の箇所の最後に、このように書いてあります。

 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。

 この前の金曜日、幼稚園ではキャロリングをおこないました。子どもたちがみな白いコッタを着て、正門を出て行基さんの噴水をまわり、そしてもちいどの商店街のだるま薬局まで行ってまた帰って来るというコースを歌いながら歩きます。「きよしこの夜」、「メリークリスマス」、「もろびとこぞりて」という三曲を一生懸命に歌う子どもたちを、町行く人たちは笑顔で見送ります。外国の人たちも多く歩いていますが、写真を撮ったり、動画を撮ったり、みな嬉しそうです。

 最初にお話ししたクリスマス飾りもそうですが、わたしはこのような働きってとても大切だと思っています。日本にいる人のほとんどは、クリスマスはサンタの日、ケーキの日、恋人の日、イエス様の誕生日だって認識は、ほとんどありません。でもここで、「教会だけでも正当なクリスマスをするんだ」って頑張ったところで、何になるのでしょう。「じゃあ、クリスマスは自分たちとは関係ないイベントだ」ってなるのではないでしょうか。

 神さまは、それを望んではおられないのです。「もうすぐイエス様来るよ、だから楽しみに、目を覚まして待ってておいで」、まずわたしたちはこの言葉を聞き、ウキウキしながら待ちましょう。小学生の頃、「サンタさん来るまで起きてる!」って頑張ったことはないですか。それと一緒なんです。喜びの知らせを待ちましょう。

 そして、伝えるんです。だってイエス様は、「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ」って言われているからです。わたしたちは他のすべての人に、伝えないといけないのです。わたしたちはこの言葉を聞いた以上、周りのすべての人たちに知らせていく責任がある。「目を覚ましてみんなで待ちましょう」と語るのです。伝え方は、いろいろあると思います。人工的な光を見た人が、本当の光に包まれたいと願うこともあるでしょう。子どもたちの歌声に、神さまの愛を感じることだってあるでしょう。クリスマスコンサートを通して、その恵みに気づくこともあるかもしれません。

 でも一番は、礼拝です。ロウソクの光が一本ずつ増えていくその中で、わたしたちの心にもまもなく眩いばかりの光がやってくる。そのことを一人でも多くの方と分かち合いたい。

 だからどうぞ、みなさんの周りに今、疲れ、傷つき、悲しみの中にある人がいたら、教会にお誘いください。クリスマスやイブの大きな礼拝も華やかでいいかもしれません。でもこの紫のシーズンに、一緒に心を鎮めお祈りし、イエス様を待ち望む。とても素晴らしいことだと思います。

 みなさんにとって、この降臨節が実り豊かで、良い期間となりますように、お祈りいたします。