日ごとの聖書(6月22日)

本日の通読箇所「創世記43:1~7」

しかし、一緒に行かせてくださらないのなら、行くわけにはいきません。『弟が一緒でないかぎり、わたしの顔を見ることは許さぬ』と、あの人が我々に言ったのですから。」

(創世記43章5節)

カナンの地に住むイスラエル(ヤコブ)と息子たちは、エジプトで買った穀物を食べつくしてしまいました。飢饉は7年間続くのですが、彼らはその事実を知らなかったのでしょう。(後の箇所から、この頃は飢饉の2年目だということがわかります。)

父は「もう一度エジプトに行き、穀物を買うように」と息子たちに命じます。しかしそのためには、ベニヤミンをエジプトまで一緒に連れて行く必要があることを、息子たちは父に伝えます。

なぜベニヤミンのことをエジプトの責任者が知っているのかというと、その責任者が根掘り葉掘り聞いたからです。「父は生きているか」、「他に弟はいるのか」。この質問を聞いたときに、エジプトの責任者がヨセフであることに気づくことはできなかったのでしょうか。