2019年12月8日〈降臨節第2主日〉説教

その上に主の霊がとどまる
 イザヤ11:1-10

  司祭 ヨハネ 井田 泉 
  奈良基督教会にて

 アドヴェント・クランツに2本のロウソクが灯りました。今日は降臨節第2主日。朗読された旧約聖書日課は、先週に続きイザヤ書の第11章でした。

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。」11:1-3

 先週、イザヤ書第2章の言葉は、幻、神さまから示されたビジョンであるとお話ししましたが、今日の箇所も預言者イザヤが神さまから示されたビジョンです。
 今日の箇所で顕著なのは、神の霊、主の霊の働きが語られていることです。
 なぜクリスマスを前に主の霊の働きを聞くのか。それはクリスマスの出来事が、まさに主の霊の働きそのものだからです。

 キリスト教の中心にあるのは、人間の考え、思想、論理ではありません。だれかが世界と人間に対する深い洞察して、それをまとめた、というのではありません。そうではなくて、神さまが、神ご自身が人類と世界の救いのために決定的に働かれた──これが中心です。
 マリアが人によらずに胎に子どもを宿した。これは聖霊による出来事です。イエスさまがお生まれになった。言い換えると、神の子が人となった、人として、人の赤ちゃんとして生まれた。これは神の霊による出来事です。あり得ない、考えられないことを神がなさった──わたしたちの救いのために。これがクリスマスの出来事です。

 それですからクリスマスを迎えるに際して、わたしたちのうちに空間を用意しなければなりません。いろんなことでいっぱいになっているわたしたちの中に、わたしの中に、イエスさまを宿すための場所を用意するのです。

 今、幼稚園では聖劇の練習をしています。宿屋の場面があります。ヨセフとマリアが頼みます。
 「トントントン、宿屋さん、どうかわたしたちを泊めてください」「どこの部屋もいっぱいです。」
 頭ではイエスさまのことを考えながら、実際には、心ではイエスさまを閉め出している。こういう危険がわたしたちにはあります。わたしたちはイエスさまのために、貧しくも暖かい飼い葉桶を用意して、迎え入れたいのです。別の言い方をするなら、わたしたちにも神の霊が働きかけてくださることに対して、自分を閉ざさず、開くようにしたいのです。

 イザヤ書の今日の箇所に戻ります。イザヤは見つめています。今、目に見える現実ではないけれども、やがて必ず実現する神の業を、はっきりと見ているのです。

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。」

 イザヤが見ているのは切り倒された木の、残った切り株です。エッサイとは昔のダビデ王の父親の名前です。エッサイの息子ダビデから始まったユダ王国は切り倒されてしまう。今や切り株しか残っていない。

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。」

 ここで大切なのは「主の霊」です。

「その上に主の霊がとどまる。」

 その人、その存在の上に主の霊がとどまる。「主の霊」とはどのような霊なのでしょうか。それは

「知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。 
 彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。」11:2-3

 主の霊は確かな知恵を与える。表面的なことで判断するのではなく、事の深み、人の魂の深みまで認識して正しく物事を見分ける。深い思慮に基づいて判断し、勇気をもって行動する。そして何よりも「主を知り、畏れ敬う霊」。 

 主の霊を受けたその人はどのように行動するのでしょうか。

「弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。」11:4

 主の霊を受けたその人は、弱い人を不当な苦しみから救う。神の霊に動かされたその人は、貧しい人たちを公平に弁護する。
 主の霊は、エッサイの株から萌え出て若枝として育ったその人をとおして、このように具体的に働いていくのを、イザヤはかなたに見つめました。

 このように主の霊を受けて神の意志を実現し、弱く貧しい人たち、虐げられた人たちを救う方。それはイエス・キリストです。そのように最初の教会の人々ははっきり認識し、また信じました。このイザヤ書のこの言葉は、救い主イエス・キリストのことをあらかじめ預言する言葉となったのです。

 イエスは故郷ナザレの町の礼拝に出席されたとき、聖書を引用しつつこう語られました。

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。」ルカ4:18

 わたしたち自身が必要としているのは主の霊です。主の霊がわたしの上におられなければ、わたしたちは自分の霊、人の霊、この世の悪しき霊によって支配されてしまいます。

 今日、神はイザヤの言葉をとおしてわたしたちを招いておられます。
 救い主を新しく迎えなさい。わたしがあなたがたにわたしの霊を注いでいるのだから、それを受けて新しく生きなさい。
 主の霊は喜びを与えます。希望を与えます。主の霊はわたしの目を神に向かって開きます。主の霊はわたしの耳を神に向かって開きます。神の霊は、知恵と勇気と愛と信仰をわたしたちに与えます。

 祈ります。
 神さま、どうかわたしたちに新しくあなたの霊を注いでください。この世の悪しき霊からわたしたちを解放してください。そして、クリスマスの恵みを深く味わわせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン