本日の通読箇所「マタイによる福音書23:16~28」
ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。
(マタイによる福音書23章26節)
イエス様はさらに、律法学者たちやファリサイ派の人たちに対して「ものの見えない」と語られます。表面だけを見て、本当に大切なことに目が行っていないということでしょうか。
いくら外面だけをきれいにしたとしても内側が濁っていたら、それは意味のないことです。イエス様は罪人や徴税人、娼婦たちと一緒に食事をしました。そういう行為は「汚れ」につながると考えられていたにもかかわらずです。
わたしたちもイエス様に倣って生きていくならば、そのイエス様の行いに目を留めましょう。そして心の中にイエス様を迎え入れ、与えられた大きな愛を隣にいる人と分かち合っていきましょう。