本日の通読箇所「マタイによる福音書24:45~51」
主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。
(マタイによる福音書24章45節)
聖公会の聖餐式では、司祭は感謝聖別の中でこのように唱えます。「天の父よ、わたしたちはこのパンとこの杯によって、み子がただ一たび献げられた十字架の犠牲を記念し、栄光ある復活、昇天を宣言し、み子が再び来られるまでこの祭りを行います」。
わたしたちの信仰の中には「キリストの再臨」ということが根底にあるはずですが、「み国が来ますように」ということよりも目の前のことを祈っている自分に気付かされることがあります。
「イエス様、いつでも戻ってきてください」という気持ちで、わたしたち一人ひとり、遣わされた場所で歩んでいきましょう。