本日の通読箇所「マルコによる福音書14:66~15:5」
するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。
(マルコによる福音書14章72節)
聖公会の聖餐式では、説教のあとにみんなでニケヤ信経を唱えます。その中に「ポンテオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、死んで葬られ」という言葉がありますが、果たして十字架の責任をピラトだけに押し付けてよいのでしょうか。
一番弟子ともいえるペトロの三度の否認は、わたしたちも誘惑に負け、イエス様を見捨て、十字架へと向かわせる一人となることを示しています。
ペトロはいきなり泣き出しました。この言葉には、様々な意味があります。頭を覆って、地に身を投げ出して、上着を着て、走り出して、勢いよく、わっと。しかしそんなペトロを、イエス様は用いていかれます。これがわたしたちに対する、恵みの約束なのです。