日ごとの聖書(9月 24日)

本日の通読箇所「ルカによる福音書20:41~47」

このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。

(ルカによる福音書20章44節)

牧師をしていて、「聖霊って何ですか?」と聞かれることがあります。また幼稚園の子どもに「神さまってどこにいるの?」と聞かれることもあります。「三位一体でどういうことですか?」と難しい質問をされることもあります。

わたしたちはどうしても、頭で物事を理解したいと願います。「ダビデの子」という枠に、勝手にメシアを押し付けてしまうようにです。神さまにしかわからないことは沢山あるのにもかかわらずです。

またわたしたちはどうしても、人から良く見られたいものです。見せかけの長い祈りもその中に含まれるそうです。それらの「人の思い」から抜け出すことができれば、どんなにか心が軽くなることでしょう。