日ごとの聖書(1月17日)

本日の通読箇所「創世記4:25~26」

再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。

(創世記4章25節)

ルカによる福音書3章23節以降にはイエス様の系図がありますが、そこには「エノシュ、セト、アダム。そして神に至る」(ルカ3:38)と書かれています。カインとアベルの名は、系図から消えています。

「授ける」という意味を持つヘブライ語「シャト」にちなみ、新たに生まれた男の子は「セト」と名付けられます。彼の妻は「セトの花嫁」と呼ばれるのか、と小柳ルミ子を思い出してしまうのは、わたしだけでしょうか。

今日の箇所の最後に、「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」とあります。新しい聖書では、「その頃、人々は主の名を呼び始めた」となっています。人々の間に「信仰」と「礼拝」が生まれてきたということです。