本日の通読箇所「ローマの信徒への手紙3:19~20」
なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
(ローマの信徒への手紙3章20節)
たとえば自動車を運転するときには、道路交通法を理解することが求められています。自動車教習所などでそれを学び、学科試験や実技試験を経たのちに免許証が渡され、公道での運転が可能になります。
そこでの道路交通法は、「守らなければならない」規則です。道路交通法を知って運転技術が未熟な自分に気づく、という意味ではありません。わたしたちの身近にある様々な法律や決まりも同じです。それらは、「守らせるために」あるものです。
しかしパウロは、律法とは「罪の自覚を生じさせるもの」なのだと言います。そもそも人間は罪深く、神さまの前に正しい者ではありえないというのが、彼の考えです。自分の心に悪い思いが生じるたびに、パウロの言っていることが心にストンと落ちます。