日ごとの聖書(6月16日)

本日の通読箇所「ローマの信徒への手紙3:1~4」

決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。

(ローマの信徒への手紙3章4節)

パウロはここで、「では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず~」と、これまでの流れとは少し違うことを語り出します。

パウロはもともと、ユダヤ人の中のユダヤ人として割礼も受けていましたし、またファリサイ派として律法に忠実に生きてきました。そしてその結果としてキリスト者を迫害してきたわけです。

パウロはユダヤ人の立場に戻って、自己弁護をしようとしたわけではありません。信じる人が義とされるという信仰義認に立ったとき、割礼という人のおこないよりも大きな神さまの愛に気づかされます。わたしたちに委ねられた神さまの言葉を信じることが大事なのです。