本日の通読箇所「詩編51:15~21」
しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。
(詩編51編19節)
「打ち砕かれ悔いる心」という言葉が19節に出てきます。わたしたちは心が打ち砕かれるような経験を望まないかもしれません。というのも「打ち砕かれる」というと、打ちのめされるようなイメージがあるからです。
「主よ 主よ 聴きたまえ くだけし心の 祈言(ねぎごと)を」と繰り返す聖歌があります。聖歌128番「イェスきみ イェスきみ み救いに」という大斎節の聖歌です。砕かれた心の祈りの言葉を聴いてほしいという願いが歌われます。
自分が砕かれるというのは、変えられるということです。自分の力に頼って歩んできた生き方が、神さまに救いを求める生き方に変えられる。罪を犯し続ける自分に気づけたからこそ、「わたしを変えてください」と祈ることができるのです。