本日の通読箇所「詩編111:6~10」
主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。
(詩編111編10節)
「主を畏れることは知恵の初め」という言葉があります。こわがる気持ちや恐怖、不安をあらわす「恐れ」ではなく、「畏れ」には敬い、かしこまる気持ちという意味があります。「畏敬の念を抱く」といった使い方もある漢字です。
この詩編は、主を畏れる人たちによってなされる神さまのみ業への賛美です。神さまはみ業の力を示し、そして諸国の嗣業(神さまによって与えられた土地のこと)を与えられるのです。
詩編ではその与える相手を、「ご自分の民」と書きます。旧約の時代にはそれはイスラエル民族のことでした。しかしイエス様がわたしたちの贖いとして遣わされた今、「ご自分の民」とはわたしたち一人ひとりでもあるのです。




