「猫のように」
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ルカによる福音書13章22~30節
みなさんは猫はお好きですか? 私は昔、友人の猫に酷く噛まれたことがあり、それ以来少し苦手なのですが、この教会の敷地内にも二匹ほど住み着いている猫がいます。よく見かけるのは真っ黒な猫で、とても警戒心が強く、人を見ると一目散に逃げていきます。先日、その猫が北門の柵をすり抜けていく姿を見ました。わずか10センチほどの隙間を、スーッと通り抜けてしまったのです。
なぜそんなことができるのか調べてみると、猫は肩の骨がとても柔らかいのだそうです。頭というしっかりした骨さえ通れば、あとは体を柔らかくして後からついて行ける。人間の目には「絶対に通れない」と思える隙間でも、猫には可能なのです。
イエス様は「狭い戸口から入るように努めなさい」と語られました。猫なら合格です。では逆に、絶対に狭い戸口を通れない動物は何でしょうか。私が思い浮かべたのは亀です。亀は小さな頭を持っていても、大きな固い甲羅を背負っているため、どうしても通ることができません。甲羅は命を守る盾ではありますが、外側を固めることでしか自分を守れない仕組みです。
この猫と亀の対比は、私たちの信仰のあり方をよく映しています。キリストの愛を自分の中にしっかりとした骨格として持っているなら、猫のように柔らかく、謙虚に「狭い戸口」をくぐることができます。その人にとって外見や違いは問題になりません。白でも黒でも、三毛でもぶちでも構わない。けれども、神の愛を持たない人は、自分を守るために「殻」をかぶるしかありません。それは財産や地位や名誉といった立派なものかもしれませんし、「少しでもよく見せたい」という小さな見栄かもしれません。殻が大きくなればなるほど、イエス様の語る狭い戸口を通ることはできなくなるのです。
では、その狭い戸口の先にある「神の国」とは何でしょうか。今日の福音は「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」という問いから始まります。人はつい「自分さえ救われればよい」と考えがちです。しかしイエス様はこう答えます。「人々は東から西から、南から北から来て、神の国で宴会の席につく」と。神の国は一人のためではなく、あらゆる人が共に招かれる食卓なのです。
さらに大切なのは、神の国は死後や終末にだけ約束された世界ではなく、「今ここに」始まっているということです。ルカ17章21節でイエス様は「神の国はあなたがたの間にある」と言われました。人と人の間に神の愛と平和が実現するとき、その場こそ神の国なのです。
実は、教会こそ神の国のしるしです。社会での肩書や地位を超えて、子どもも大人も、健康な人も病の人も、仕事を持つ人も失った人も、同じパンを受け、同じ杯を分かち合う場所。それが教会です。ここでは誰一人「ふさわしくない」と切り捨てられることはありません。ある方は「職場でも家庭でも居場所がなかったが、教会に来てそのまま受け入れられると知り涙が出た」と話してくれました。その瞬間、この人にとって教会は神の国となったのです。
再来週には3名の方の洗礼、そして併せて7名の堅信式が行われます。こうして少しずつ神の国が広がっていくことを、共に喜びたいと思います。この神の国に入るのに必要なのは特別な資格ではありません。猫の骨のように「キリストの愛」を内に持つことだけです。信仰という難しい言葉を使わなくても、ただイエス様を受け入れ、その愛に生きたいと願うだけでよいのです。すると、私たちを覆っていた固い殻は自然と剥がれ落ち、神は代わりに柔らかな毛皮を与え、他者に触れたいと思わせる存在に変えてくださいます。
「開かれた教会」と「狭い戸口」という言葉は矛盾するように聞こえるかもしれません。しかし真実はこうです。教会の戸口は広く、誰にでも開かれています。そして入った者は神の愛によって、甲羅を背負った亀ではなく、柔らかな猫のように変えられ、命の食卓に招かれるのです。そして教会を出て社会に生きるとき、私たちは自然と神の愛をおすそ分けし、小さな神の国を広げていくことができるのです。
先日、ある信徒のお母様の葬儀で「キリストにはかえられません」という賛美歌が歌われました。「世の宝がいかにすぐれていても、世の楽しみがいかに豊かでも、キリストにはかえられません」。ここで歌われている「キリスト」とは、私だけの救い主ではなく、すべての人を受け入れる神の愛そのものです。この愛に代えられるものは何一つありません。
この愛を内に持つとは、自分の弱さを認め、違いを受け入れ、共に生きることです。家庭では互いの不完全さを支え合い、職場では競争よりも協力を選び、学校では仲間外れをせず、教会では弱さを分かち合う。そうした小さな実践の中にすでに神の国は始まっているのです。
奈良基督教会が、この神の国への戸口として、誰をも拒まず、すべての人の居場所であり続けますように。今日この思いを心に刻み、共に「キリストにはかえられません」を歌いましょう。




