2020年1月1日〈主イエス命名の日〉説教

主よ、わたしたちの中にあって進んでください
 出エジプト記34:9

  司祭 ヨハネ 井田 泉
  奈良基督教会にて 

「主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」出エジプト記34:9

「主よ、わたしたちの中にあって進んでください。」

 今日の旧約聖書日課にあったこの祈りを、奈良基督教会の今年の年間聖句とし、この年のわたしたちの最初の祈りとしたいと思います。

「主よ、わたしたちの中にあって進んでください。」

 「主よ」 最初に神への呼びかけがあります。わたしたちが呼びかける方は、先にわたしたちに呼びかけてくださった方です。わたしたちを尊いものとして造り、招き寄せ、ここまで導いてくださった方です。その方に向かってわたしたちは「主よ」と呼びかけます。

 「わたしたちの中にあって」 他所(よそ)ではなく、ここに、わたしたちの中にいてください、主よ。主がわたしたちの中にいてくださらなければ、わたしたちは中心を失い、土台を失います。ばらばらになり、互いに反目し、またそれぞれが間違った方向へとさまよい出てしまいます。「わたしたちの中に」主がいてほしいのです。わたしたちの中にいてください。

 そして「進んでください」 わたしたちは人生の道を好むと好まずとかかわらず進んで行かなくてはなりません。教会もまた、いろんな課題や葛藤を抱えつつも進んで行かなければなりません。神さまに一緒に進んでほしい。わたしたちを放置しないでください。わたしたちが神さまを忘れて勝手に進むのではなく、神さまに導かれて、神さまと共に進み行かせてください。

 この短い一文の中に、わたしたちに必要な三つの祈りが含まれています。

「主よ」
「わたしたちの中にあって」
「進んでください」

 この祈りをしたのはモーセです。遠い昔、イスラエルの民をエジプトから脱出させ、約束の地へと民を導こうとしたモーセが祈りました。そのイスラエル、神の民は、いくたびも神さまに背きました。その背信行為と頑なさははなはだしく、神さまの忍耐の限度を越えてしまいました。神は「もうお前たちとは一緒に行かない」と言われました。人々はこれを聞いて嘆き悲しみ、身に付けた飾りを取り外し、みずからを悔い、全員立って礼拝しました。

 そのとき、モーセは民の罪の赦しのために自分の命にかけて祈りました。

「今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたの書き記された書の中から消し去ってください。」出エジプト記32:32

 自分の命を取り去ってください、とモーセは神に祈ったのです。
 これに心を動かされた神は、「あなたがたと一緒に行く」とあらためて約束されたのでした。

 わたしたちも、知っていて、あるいは知らずに、過ちを犯し、しかもそれを真剣に考えてこなかったかもしれません。礼拝で懺悔の言葉を唱えても、良心の痛みを感じないままに通り過ぎることがあったかもしれません。
 けれども、このわたしたちのために、みずからの命をかけて祈ってくださる方がおられます。イエス・キリストがわたしたちのために祈ってくださいます。この方によって、わたしたちは自らを正されます。

 わたしたちは今日、新しく出発します。

「主よ、わたしたちの中にあって進んでください。」

 この祈りと共に新しい年を始めます。わたしたちのために祈ってくださる主イエスが、わたしたちの中にあって進んでくださいます。

 主なる神さま、この新しい年、わたしたちの中にあって進んでください。あなたの赦しと導きを受け、祝福に守られて歩ませてください。あなたと共に歩ませてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン