日ごとの聖書(1月 2日)

本日の通読箇所「マタイによる福音書1:18~25」

夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

(マタイによる福音書1章19節)

「聖霊によって身ごもった」マリアと、ヨセフはひそかに縁を切る決心をしました。それは彼が「正しい人」であったからです。

「正しい人」とはどういう人のことでしょう。もし律法をきちんと守る人を「正しい人」と呼ぶのであれば、ヨセフはマリアの姦淫の罪を認め、引き渡さなければならなかったでしょう。そしてマリアは石打の刑に処されることになったはずです。しかしヨセフは、神さまの前に「正しい人」でした。神さまを畏れるヨセフが下した決断は、マリアの身を守るということだったのかもしれません。

そして生まれてくる子は、「インマヌエル(神は我々と共におられる)」と呼ばれるようになります。この一連の出来事を通して神さまが伝えたかったこと、それは「わたしは共にいる」ということなのです。