本日の通読箇所「コリントの信徒への手紙一14:20~25」
このように、異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。
(コリントの信徒への手紙一14章22節)
パウロはここで、「子ども・幼子」と「大人」という言葉を用います。子どもは与えられたものに対して有頂天になり、人に見せびらかせてしまいます。異言を人前で語るというのはそういうことだよ、とパウロは語るのです。
そうではなく、大人になりなさい。興奮した状態のままで礼拝に参加するのではなく、理性をもって周りを見渡し、新しく来た人たちをつまずかせないように配慮しなさいというのがパウロの主張です。
ただ24節の、「信者でない人が預言によって罪を指摘され、ひれ伏して神さまを礼拝する」という目的については、少し怖い気がします。教会がそのような裁きの場になるのも、何か違うような気がします。