2020年3月15日 〈大斎節第3主日〉説教

イエスが与えてくださる水
 ヨハネ4:13-14

  奈良基督教会にて
  司祭 ヨハネ 井田 泉

「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。』」ヨハネ4:13-14

 今日の福音書は1節から42節にわたる長い物語です。この物語からいくつものことを汲み取ることができます。けれども今日は中心の一点、このイエスの言葉に集中します。

「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

 ここから三つのことを知りましょう。
 第1に、イエスは「生きた水」(10節)を持っておられます。この水なしではわたしたちは渇く。潤されなくて渇く。満たされなくて渇く。イエスがその水を、生きた水を持っておられるのです。それなのに、それに気づかず、それを本気で求めずにいるのは悲しいことです。生きた水を持っておられる方のところにわたしたちは行かなくてはなりません。

 第2に、イエスはわたしたちにその生きた水を与えてくださいます。わたしたちにそれを飲ませてくださいます。
 「来て、わたしから飲みなさい。」
 わたしたちがそれを必要としているのをイエスは知っておられます。知っておられるだけではなく、わたしたちにそれを与えよう、飲ませようと切に願っておられます。それはイエスがわたしたちを愛しておられるからです。

 第3に、イエスが与えてくださる水は、わたしの中に入ってきた水は、わたしの中に泉を開きます。わたしの中に隠れていた、わたしの中で涸れていた井戸が湧き出すように、イエスがくださる水はわたしの中に水源を開くのです。
 そうするとどうなるか。わたしが潤されるだけではなくて、わたしをとおして他の人が潤されるようになります。わたしが、皆さんひとりひとりが、人を励まし、支え、生かすようになるのです。

 今日の聖書の物語の中で、ひとりのサマリアの女の人がイエスと出会い、イエスから生きた水を飲み、そうして彼女の中に泉が開かれました。

 今日、この教会において、ひとりの女の人がイエスさまと出会い、イエスさまから生きた水を受け、その人の中に泉が開かれます。それが洗礼です。
 今日洗礼を受ける人にも、わたしたちのだれにも、イエスさまの生きた水が与えられますように。わたしたちの中にイエスさまが命の泉を開いてくださいますように。アーメン