日ごとの聖書(3月 20日)

本日の通読箇所「マタイによる福音書22:23~33」

『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。

(マタイによる福音書22章32節)

申命記25章5~10節には、「レビラート婚」と呼ばれる規定が書かれています。たとえば兄夫婦に子どもがない状態で、兄が妻を残して亡くなってしまったら、弟は兄の妻をめとらなければならないというものです。

「これは女性を生かしてあげるために必要な規定だ」、そういう声もあります。夫を亡くした女性が子どもを産んでいないという理由で家の外に出されると、確かに一人で生きていくのは困難です。

しかし今日の聖書の話を聞いて、気分が悪くなるのはわたしだけではないと思います。7人の兄弟の間を、物のようにたらいまわしにされる女性の姿がここにあります。その中で聞く「復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」というイエス様の宣言は、どのように聞こえてくるでしょうか。