日ごとの聖書(11月 20日)

本日の通読箇所「ヨハネによる福音書9:13~34」

彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」

(ヨハネによる福音書9章25節)

昨日の箇所で目の見えるようになった人が、今日はファリサイ派の人々からの事情聴取を受けます。最初は目が見えるようになった本人、次にその人の両親、そしてもう一度本人が呼び出され、質問をされます。

両親は目が見えるようになった人は自分の息子だと答えますが、どうやって見えるようになったのか、誰がそうしたのかは「分からない」「本人に聞いてくれ」と明確な答えを避けました。それは会堂から追放されるのを避けるためでした。

しかし本人は「あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです」と、イエス様がメシアであることを証言します。その結果、彼は外に追い出されてしまいました。わたしたちがこの場にいたら、どのような行動をするのでしょうか。