日ごとの聖書(11月17日)

本日の通読箇所「出エジプト記30:17~21」

洗い清めるために、青銅の洗盤とその台を作り、臨在の幕屋と祭壇の間に置き、水を入れなさい。

(出エジプト記30章18節)

カトリック教会に行くと、入り口付近に聖水の入った聖水盤が置かれています。信徒の方々は礼拝堂に入るとき、手を聖水に浸して十字をきる習慣があるそうです。神社の手水舎(ちょうずや)も同じような感じでしょうか。

手足を洗い、身を清めて神さまの前に立つ。ユダヤ人はこれ以外にも、「清め」をとても重要視してきました。食事の前に念入りに手を洗うこともそうです。けが人を見かけても血に触れないために道の向こうを歩くこともそうです。

ただここまで畏れなければならない神さまというのは、いかがなものでしょうか。礼拝の中で聖書朗読が当たったとき、間違えたら裁きを受けることになったとしたら、命がいくつあっても足りません。