「光あれ」
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ヨハネによる福音書1章1~18節
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
ヨハネによる福音書は、このような荘厳な言葉で始まります。この箇所は、マタイ福音書の東方の博士たちの訪問、またルカ福音書の、羊飼いたちに告げられた天使の知らせと並んで、必ずクリスマスに読まれる箇所です。
けれども、正直に言えば、ヨハネの文章は少し難しく感じられるのではないでしょうか。何を言っているのかよく分からない。それでも、不思議と心を打たれ、神さまの大きさ、すべてを包み込むような壮大さを感じさせる――そんな響きをもっています。
博士たちや羊飼いたちの物語が、歴史の中のある一点の出来事を語っているとするならば、ヨハネは、時空を超えた神さまのご計画の中に、イエス・キリストのご降誕があったのだということを語っています。さらに言えば、イエス様は、過去の出来事として生まれた方ではなく、今も、これからも、私たちのただ中に生まれ続けておられる方なのだ、ということを告げているのです。
このヨハネの言葉を聞くと、私たちの心には、自然とある聖書箇所が思い起こされます。旧約聖書、創世記の冒頭です。1章1節から3節をお読みします。
「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」
神さまがこの世界を創られたとき、最初に存在させたものは「光」でした。これを考えると、実に不思議な気がします。もし私たちが「世界を作ってみましょう」と言われ、画用紙や粘土や絵の具を渡されたとしたら、まず光から作ろうとは思わないでしょう。太陽や月や星を描くことから始めるのではないでしょうか。
ところが神さまは、太陽よりも先に、光を創られました。しかもその前の世界は、「混沌」「闇」「深淵」と表現される、想像することさえ難しいほどの状態でした。その暗闇のただ中で、神さまは叫ばれたのです。「光あれ!」
これが138億年前に起こったとされる宇宙の始まり、いわゆるビッグバンであるかどうかは分かりません。しかし、そう信じてよいのではないか、と私は思います。科学と信仰が完全に一致するかどうかは、実はそれほど重要ではありません。なぜなら、これは科学か信仰か、という二者択一の問題ではないからです。
それよりも大切なのは、太陽より先にあるこの「光」とは、いったい何なのかということです。それはおそらく、目に見える物理的な光ではありません。存在に意味を与え、混沌を秩序へと導く、神さまのいのちそのものの光なのではないでしょうか。
このことを心に留めたまま、もう一度、ヨハネによる福音書に戻りましょう。
「初めに言があった。」
ヨハネは、明らかに創世記の冒頭を意識して、この福音書を書き始めています。そしてここで繰り返されるのが、「言」という言葉です。日本語の聖書では、「言葉」ではなく、「言」という一文字で「ことば」と読ませています。英語では Word ですが、頭文字は大文字です。これは、私たちが日常で使う言葉とは全く別のものである、ということを示しています。
ヨハネは語ります。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。」創世記の「光」と、ヨハネの「言」は、別々のものではありません。神の「言」は、命であり、光なのです。 そしてヨハネは、その光が、イエス・キリストとして、この世に来られたのだと告げているのです。
奈良基督教会での24日のクリスマスイブ礼拝には、149名もの方が集ってくださいました。暗闇に包まれた聖堂で、一人ひとりがキャンドル型のライトを手に、聖書の言葉に耳を傾け、聖歌を歌いました。光と言が一つになる、その美しさに、胸がいっぱいになりました。
翌25日、私は管理牧師をしている三重県菰野町にある福祉施設「聖十字の家」にある菰野聖マリア教会で、クリスマス礼拝をおささげしました。今年は、その前に、新しく開所した身体障がい者施設「聖十字こもれびハウス」でも初めて礼拝を行うことができました。車いすやストレッチャーでいっぱいになった、小さなチャペル。多くの方は、式文を手に取ることも、キャンドルを持つこともできません。歌うことや、言葉を交わすことが難しい方も多くおられます。
その中で朗読された、羊飼いたちへの天使の知らせ――「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」その言葉が、まるでこもれびのように、目には見えない光となって、一人ひとりに届いていくのを、私ははっきりと感じました。そこには、これ以上ないほどの輝く喜びの表情がありました。ああ、イエス様は、今ここに来てくださったのだ。
言葉を発することができなくても、キャンドルの光を持つことができなくても、言となり、光となって、イエス様は確かにお生まれくださる。
神さまは、私たち一人ひとりを愛してやみません。どうしても光の中へ招き入れたい、どうしてもその愛で包みたい――その一心で、神さまは今日も私たちの心に叫ばれます。
「光あれ!」
光は、今も私たちひとり一人が心に持つ暗闇の中で輝いています。そのことを信じ、新しい年を迎え、この喜びの知らせを、まだ知らされていない一人でも多くの方へと伝えてまいりましょう。
改めまして、クリスマスおめでとうございます。




