本日の通読箇所「マタイによる福音書20:17~28」
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。
(マタイによる福音書20章28節)
イエス様はみたび、十字架と復活の予告をされます。マタイ・マルコ・ルカにはそれぞれ三回の受難予告が収められています。イエス様が神さまに遣わされた意味が、ここに凝縮されています。
この三度目の受難予告は、弟子たちに対してなされました。しかしゼベダイの息子(ヤコブとヨハネ)の母がイエス様に、息子たちを高い身分に置くように願います。(ちなみにマルコ福音書ではヤコブとヨハネ本人が願っています。)
イエス様は仕えるため、自分の命を献げるために来られました。イエス様と共に歩むのであれば、わたしたちの立つ場所も自ずと決まっていくはずです。