本日の通読箇所「マタイによる福音書20:1~16」
自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
(マタイによる福音書20章14節)
聖書という書物は不思議なもので、読むときの心境や周りの状況によってメッセージが違って聞こえることがあります。今日の箇所もそのような物語かもしれません。この物語を聞いて、自分は何時から働き出した者だと感じるでしょうか。
夕方5時にようやく呼ばれた者だと感じるときには、神さまの憐れみに改めて気づかされることでしょう。しかし時には、夜明けからずっと働いていた労働者と共に「それは不公平だ」と叫ぶ自分に気づくこともあります。
「自分に対して正当に評価して欲しい」、誰でも思うことです。しかしわたしたちは、神さまからの一方的なお恵みによって生かされているのです。「自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか」という言葉を、わたしたちはどのように聞くのでしょうか。