日ごとの聖書(3月 10日)

本日の通読箇所「マタイによる福音書19:16~30」

青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

(マタイによる福音書19章22節)

ユダヤの人たちは、神さまからの祝福は長寿・子孫・財産によって示されると考えていました。だから金持ちの青年は、自分は戒めを守る正しい者だから神さまはたくさんの財産を与えたのだと考えていたことでしょう。

しかし天に宝を積むには、貧しい人に財産を与えなさいと言われ、悲しみ、立ち去ります。新しい聖書では、彼は「悩みつつ立ち去った」となっています。彼はその後、どうしたのでしょうか。

「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」とのイエス様の言葉を心に留めたいと思います。針の穴をらくだが通ることなど考えられません。しかし神さまにすべてをお任せして自分が固執している物から手を離すとき、神さまの救いの手は差し伸べられるのです。