2022年5月22日<復活節第6主日>説教

「わたしにも聞かせてください」

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 ヨハネによる福音書14章23~29節

 今週木曜日は、昇天日です。イエスが十字架にかけられて三日目によみがえられ、40日間弟子たちとともにこの地上で過ごされた後、天に昇られた出来事を記念する日です。そして、その前の日曜日である今日は、復活節最後の主日となります。その復活後の40日間のことはあまり聖書には書かれていないのですが、もうすぐ再び目の前から消えてしまうイエスを前に弟子たちはどんなに不安だっただろうと思うのです。そんな昇天日を目前にする今日の日曜日には、先週に引き続き、ヨハネによる福音書に描かれたイエスが十字架にかかられる直前に弟子たちに語られた愛に満ちた言葉が選ばれています。

 10年前に乳がんの手術をし、再発におびえていた頃、よく想像していました。もし、この世を去らなければならなくなったら、最後の最後にどんな言葉をまだ小さな二人の子どもたちに残すべきだろうかと。その言葉集はおそらく一冊の本くらいになるだろうけれども、最後の一言はきっと、「ママはいつもあなたたちと一緒にいるからね、大丈夫、悲しまないで」なのだろうと思います。

 主イエスご自身もご自分の可愛い弟子たちを残してこの世を去ることは、従うべき神のご計画と言えども一人の人間としてどんなに辛かっただろうと想像します。弟子たちとの最後の晩餐の後、長い長い言葉を彼らに残し、彼らのために祈られました。今日の箇所はそのちょうど中心部分に当たります。ここでイエスは、弟子たちに大切な約束をされました。それは、ご自身がこの世からいなくなった後、神さまのもとから聖霊が送られるという約束です。この聖霊はここで「弁護者」と呼んでいます。もともとは法廷で弁護する人を意味し、助言者、仲介者、相談役、支持者、保護者などを意味します。法廷に立つ者、すなわちこの世に生きるわたしたち一人ひとりに神さまが弁護人を用意してくださるというのです。わたしたちは決して一人ぼっちではないのです。

 少し前の箇所(ヨハネ14:17-18)で、イエスは「この霊がわたしの代わりにあなた方と共におり、あなたがたの内にいるようになる。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」と言われています。この目に見えない聖霊は、わたしたちと共にいることで一体何をしてくれるというのでしょうか。それは今日の箇所にかかれているとおり、イエスが弟子たちに教えられたすべてのこと、話されたすべてのことをことごとく「思い起こさせて」くれるということでした。

 ここで言われる「思い起こす」とは単に、ああ、あの人が生きていた時あんなこと言っていたな、あんなふうに行動していたなと思い出すことではありません。聖霊の働きによって、目には見えないけれども、イエス・キリストが今ここにおられる、聖書のみ言葉が今わたしに直接語られる、ということなのです。イエス・キリストの福音が今ここに現在するということなのです。

 この後、奉献の時に聖歌363番「ガリラヤの風かおる丘で」を歌います。

1.ガリラヤの風かおる丘で人々に話された恵みのみ言葉をわたしにも聞かせてください。

2.嵐の日、波たける海で弟子たちをさとされた力のみ言葉をわたしにも聞かせてください。

3.ゴルゴタの十字架の上で罪人を招かれた救いのみ言葉をわたしにも聞かせてください。

4.夕暮れのエマオへの道で弟子達に告げられた命のみ言葉をわたしにも聞かせてください。

 この詩にある通り、イエスは聖霊を通して今、ここにわたしたちと共におり、わたしたちに語ってくださいます。恵みのみ言葉を、力のみ言葉を、救いのみ言葉を、そしていのちのみ言葉を。弟子たちはイエスの死と復活の後、そのことを心の底から確信しました。そして、自分の命に代えてでもこの福音を人々に伝えなければならないと一生懸命伝道したのです。そうしてそこから二千年たった今もイエスのみ言葉が自分に語られるのを聞いて、それを人に伝えずにはいられなくなっている現実があります。

 わたし自身今までに何度も、十字架で死に復活されたイエスが共にてくださることによる救い、絶望の中で再び立ち上がらされるということを経験し、その喜びに包まれてきました。先月わたしがここでの礼拝説教を担当させていただいたとき、今老人施設でお世話になっている父の話をしました。何十年と牧師として生きてきた、愛する父が「もう死んでしまいたい」、「信仰の話はしたくない」といった、娘のわたしにとってこれ以上の悲しみはないというほどの言葉を口にしたという話です。きっと大丈夫、そんな父にも神さまは共にいてくださると希望の言葉で〆たメッセージでしたが、その後、何人もの方がご心配くださり、わたしの悲しみを共にし、お祈りしますと言ってくださいました。

 それからしばらくたち、また施設から電話がかかりました。びくびくしながら取ると、「お父様ですが、朝ごはんに付けられる海苔の佃煮を昼も夜も出してほしいとおっしゃられ、一日30円かかることになりますが、よろしいでしょうか?」というお伺いでした。もう、わたしはうれしくて笑い転げてしまいました。何も食べたくないと言ってほとんど食べなくなっていた父が、朝昼晩と完食し、今ではお菓子もたくさん食べるというのです。数か月前は考えられないことでした。

 目に見えない聖霊は父とともにいてくださったのです。思い返せば、3月に「もう信仰の話をしないでくれ」と父に面と向かって言われたとき、大きなショックを受けたわたしに、13歳の息子が言ってくれた言葉がありました。「じいじはもう信仰なくても大丈夫なんだよ。神さまと一緒にいるからね。」聞いたときはわたしに対する慰めのように受け止めていましたが、たくさん祈った後、海苔の佃煮のリクエストを聞いたとき、本当にその通りであったことが分かりました。神さまは決して父をみなしごにはなさらなかったのです。聖霊が、弁護者が来てくださったのです。

 主は言われます。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」と。キリストの平和は、神さまが共にいてくださることを知ることによってのみ与えられる真の平和、心の平安であり、それは聖霊によって与えられるものです。

 この後陪餐に移りますが、わたしたちは自らの罪を懺悔した後、「主の平和」と互いに挨拶を交わします。これは、今、ここにキリストがおられます、だいじょうぶですという確認の挨拶なのです。その主の平和の中で、心を新たにして、イエスが弟子たちに語られた恵みのみ言葉、力のみ言葉、救いのみ言葉、いのちのみ言葉を聞きましょう。そして、2週間後には喜びいっぱいに聖霊降臨日を迎えたいと思います。