本日の通読箇所「ローマの信徒への手紙2:25~29」
外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。
(ローマの信徒への手紙2章28節)
パウロはユダヤ人と律法について語る中で、割礼について言及します。ユダヤ人の男性は、生後8日目に割礼を受けます。このときに初めてその子は、「ユダヤ人」となるのです。異邦人もユダヤ教に改宗するときには、割礼を受ける必要があります。
割礼は神さまとの契約関係を外に示すもの、つまり目に見えるしるしと考えられてきました。しかしパウロは、体ではなく心に施された割礼こそが大切なのだと言います。「まことのユダヤ人」とは何かを語るのです。
わたしたちは、割礼を受けていません。それは目に見えるものではなく、目に見えないものを大切にするからです。神さまがイエス様を遣わされたことで、わたしたちが「契約のしるし」を体に刻まなくても神さまとの間にあった溝は埋められたのです。