2024年8月4日<聖霊降臨後第11主日(特定13)>説教

「イエス様のパン」

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 ヨハネによる福音書6章24~35節

 一昨日の金曜日から奈良基督教会では、2泊3日で琵琶湖湖畔の北小松でファミリーキャンプが行われています。私は一足早く帰って来たのですが、今日この時間に北小松でも礼拝が行われていることを覚えながらお祈りをしています。

 さて、先週までは、マルコによる福音書が読まれてきましたが、今週からしばらくの間は、ヨハネによる福音書が読まれます。先週の礼拝では、イエス様が湖の上を歩いて弟子たちの舟まで行かれたという奇跡、その前の週は、5つのパンと2匹の魚を五千人以上の人々に分け与えるという奇跡が読まれました。この二つの奇跡は、マタイとマルコとヨハネの福音書に同じように二つ続けて記されていますが、その前にも、イエス様は病人たちを癒したり、悪霊を追い出したり、様々な多くの奇跡を行われたことが記録されています。12人の弟子たちはそれらの奇跡を毎日のように自分たちの目で見ていたにも関わらず、イエス様が何者なのかを理解しない、できないというのがマルコによる福音書のテーマの一つとなっているということを先週お話いたしました。

 そして、それらの奇跡に居合わした大勢の人々はどうだったかというと、この人はただ者じゃない、この人に従えば自分たちは幸せになれる、この人こそが自分たちの王となるべき人だと思ったんですね。イエス様の行く先々へ付いて行き、あるいは時には先回りして、イエス様に会いに行ったのです。今でいう推し活、もう少し昔風に言うと、アイドルのおっかけみたいなものでしょうか。いや、もっと激しかったかもしれません。何と言っても、病気は直してくれ、悪霊を追い出してくれ、お腹がすいたらパンをいくらでも食べさせてくれるのですから。先週もお話した通り、スーパースターなのです。人々は、ずっとイエス様を追いかけ続けました。

 しかし、イエス様はその追いかけて来る人たちが何を求めているのかをすっかり見抜いておられ、言われるのです。「あなた方はしるしを見たからではなく、パンでおなかが満たされたから私を探したのでしょう。」この「しるし」とはどういう意味でしょうか。ヨハネによる福音書では、「奇跡」という言葉のかわりに「しるし」という語がよく使われます。「しるし」とは、英語では「サイン」と訳されますが、単なる奇蹟ではなく、その奇蹟がある重要な事柄を指し示しているサインとなっている。それがヨハネの福音書の「しるし」と言われるものです。例えば、熱が出るのは、風邪を引いた「しるし」であると言えます。イエス様の奇跡は何のしるしであったのでしょうか。

 5千人もの人々をわずかなパンと魚で養われた奇跡、それは人々にとっては、単なるおなかを満たしたという魔法のような出来事でした。だから人々はイエス様を探したのです。もっとパンが欲しい。イエス様と共にいればいつも食べ物がある、そのように考えたのです。イエス様はそれをわかっていました。そして言われます、「食べたらなくなってしまうパンを求めるのではなく、永遠の命に至る食べ物を求めなさい」と。人々は理解しませんでした。「何をすればいいんですか?」イエス様は答えます。「神さまが遣わされた私を信じなさい。」人々は食いつきました。「では、私たちが、あなたが神から遣わされた者であることを信じることができるように、しるしを見せてください。どんなことをしてくださいますか? モーセが荒れ野で天から降ってきたパンを私たちの先祖に食べさせたようなこと、何かもっと見せてください。」人びとは、少しのパンで五千人もの人がお腹いっぱいになるという奇跡を目の当たりにしたばかりなのに、その奇跡を、イエス様が神の子である「しるし」としては認識していませんでした。表面的なことしか見えていなかったのです。イエス様を空腹を満たしてくれるすごい人とは認識していても、どうしても、神さまから遣わされた方であり、神の愛を伝えるために来られた方であるということを信じることはできませんでした。

 そこから二千年たった今の世に生きる私たちもそうではないでしょうか。そんな私たちにイエス様は言われます。「私を信じなさい。私が命のパンです」と。イエス様を信じるということは、パンが増えてお腹がいっぱいになるということではないのです。病気が治ることでもない。生活が楽になることでもありません。そんなものは、一時的なものでしかなく、いずれ朽ちてなくなってしまうものです。イエス様を信じるのは、この世的な幸せのためではありません。たとえ、奇跡をみることがなくても、病気が治らなくても、貧しくても、ずっと心の中に光があるということです。そして、その光に導かれて、この世の命が終わった後も、神さまのもとで永遠に憩うことができるということなのです。

 子どもの時、毎年夏休みに家族で父の故郷である徳島へ帰省していました。そこで祖母の戦争体験のお話を聴くのがとても楽しみでした。祖父は聖公会の司祭をしており、戦時中の牧師家庭の暮らしがどんなに大変だったかを話してくれました。キリスト教会は、敵国の宗教とみなされ、信徒の多くは教会から去っていきました。そして、祖父は自宅に軟禁されていたイギリス人宣教師に食糧を届けたために、スパイとみなされ、憲兵にとらえられ、40日間牢獄に入れられてしまいました。その間、祖母は幼い5人の子どもたちを抱え、毎日生きていかなければなりませんでした。仕事もお金も何もない状態です。しかし、ただの一日も食べられない日はなかったと祖母は笑いながら話してくれました。ある日は、教会の信徒さんが食べ物を持ってきてくれ、別の日には当時12歳だった私の父が近所の農家からジャガイモを分けてもらい、みんなで雑草を摘んだり、海水を薄めてスープを作ったり。そのようにして家族はいつも笑いが絶えなかったそうです。

 イエスさまがいつもともにいてくださったから、私たちは何も心配しなかった、祖母は言いました。彼女がいつも心にとめていた聖句は、「神の国と神の義を求めなさい。そうすればすべてのものは与えられる。明日のことは思い悩むな。明日は明日自らが思い悩む。」(マタイ6章33節)という箇所です。彼女は、パンを与えてくださいと祈るより前に、神さまを信じていればすべてが与えられるということを知っていたのです。 食べたらなくなってしまうパンではなく、いつまでも私たちの心の中を照らし続けるイエス様のパンをいただきましょう。イエスさまは言われます。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来るものは決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」