本日の通読箇所「詩編25:8~14」
裁きをして貧しい人を導き 主の道を貧しい人に教えてくださいます。
(詩編25編9節)
昨日も書きました通り、この詩編25編はアルファベットによる詞です。そのような詩が、詩編の中にはいくつかあります。しかしそのすべての詩編で、アルファベットを全部用いているわけではありません。この25編も「ベート」と「ワウ」と「コフ」がありません。
つまりこれらの詩編の目的は文字の暗記よりも、全体を思想的に統一させていることにあるようです。「ご当地かるた」や「聖書かるた」が「あ」から「わ」を用いて、統一的な内容を伝えようとしていることに近いかもしれません。
そしてこの25編における思想は、「主は苦しむ者、そして罪人を導かれる」ということです。罪をきれいに洗い流し、真っ白にならないと主の元に行けないのではありません。罪人のままの、そのままのわたしたちを受け入れて下さるのです。