本日の通読箇所「詩編75:9~11」
すでに杯は主の御手にあり 調合された酒が泡立っています。主はこれを注がれます。この地の逆らう者は皆、それを飲み おりまで飲み干すでしょう。
(詩編75編9節)
昨日の箇所には、驕る者は神さまの裁きを受けるということが書かれていました。人は驕るときに、自分を高く上げます。すると相対的に神さまは下におろされてしまうのです。その行為を聖書では、「傲慢」と呼ぶのです。
神さまの手には、杯があります。この杯は「この地の逆らう者」に対して飲まされるものです。杯の中身は、それぞれの人の運命だという説明がありましたが、裁きの杯という意味も強いでしょう。
本来わたしたちも、この杯を飲まなければならなかった一人ひとりです。しかしイエス様はゲツセマネの園の祈りの中で、ご自分の杯を受け入れられました(ルカ22:42)。そしてそのときイエス様は、わたしたちの杯も一緒に、飲まれたのです。




