本日の通読箇所「コリントの信徒への手紙一10:14~22」
パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。
(コリントの信徒への手紙一10章17節)
「偶像礼拝」と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。キリスト教の教派によっては他宗教のお葬式に出席するのを禁じたり、初詣に行くこともダメだと教えたりするところもあります。
ただわたしたちがあまりにも排他的にこの言葉を捉えてしまい、周りの人たちを避けて歩むのであれば、それは神さまのみ心とは違うように思います。イエス様は罪人や徴税人と一緒に食事をしました。
イエス様は、人々が排除している人たちから自分の身を「避ける」のではなく、共に歩まれました。パンを皆で共に食べるために、わたしたちはこの地に遣わされています。「避ける」のではなく「受け入れる」、そのことができればと思います。