本日の通読箇所「ガラテヤの信徒への手紙3:7~14」
律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。
(ガラテヤの信徒への手紙3章11節)
アブラハムのことを、「信仰の父」と呼ぶことがあります。それは昨日の箇所にあるように、「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」からです。信仰によって義とされたのです。
それに対して律法は、わたしたちに絶望を与えます。それは神さまの前に正しくあり続けることなどできないからです。律法を絶えず守ることができないならば、わたしたちは呪われるというのです。
イエス様の十字架は、わたしたちをその「律法の呪い」から贖い出したのだとパウロは書きます。律法の呪いを一身に受け、十字架上で血を流すことによって、律法の鎖を断ち切られたのです。わたしたちは神さまの前に、律法からの自由を与えられたのです。




