日ごとの聖書(12月17日)

本日の通読箇所「ガラテヤの信徒への手紙3:15~20」

では、律法とはいったい何か。律法は、約束を与えられたあの子孫が来られるときまで、違犯を明らかにするために付け加えられたもので、天使たちを通し、仲介者の手を経て制定されたものです。

(ガラテヤの信徒への手紙3章19節)

アブラハムの信仰が義とされたとき、まだ律法は与えられていませんでした。神さまは律法を出エジプトの際に、荒れ野でモーセに与えられました。それはアブラハムの出来事から430年も後のことです。

だからアブラハムとの契約が律法に勝るとパウロは言うのですが、それでは律法は何のために定められたのでしょうか。その疑問に対してパウロはこのように答えます。一つは罪を自覚させるためです。

律法を本当の意味で守ることのできない自分に気づき、「約束を与えられたあの子孫」であるイエス様が来られることを待ちわびる。これがわたしたちに与えられた、唯一の希望なのです。